yoko kurihara photo exhibition

not memories,but...

2005.9.18(sun)-10.1(sat)
11:30〜22:00
cafe yuddy (kobe/okamoto)

 

思い出というよりも
もっと確かでもっとリアル
もっとどうしようもなく絶対的にわたしたちをつくるものが
今も微かに光を放っているよ。
あなたにも、この光が見えるだろうか。

 


It isn't memories,but a proof of life.

9月17日
搬入。
イメージを具体化。
その瞬間に、もっともっと濃くできたんじゃないかと思って
すっかり逃げ腰になってしまう。
ふらふらになって帰る。
明日から始まるなんて、信じられない。


9月12日
あっという間にこんな季節。週末には搬入。
作りながら創っていく感じの写真展。
最初のイメージから少しずつ変化し、今朝、やっと全貌が見えた。
しばらく何も出来なくて
ただ毎日時間が流れていくのをしっかりと見届けていた。
そう。
笑って泣いて酔っ払ってくだ巻いて、
サボって見つめて倒れこんで、愛して許して抱きしめて、
眠れなくて震えがとまらなくて祈るような
そんな毎日の繰り返し。
ぐっと深く手を伸ばしたいものが、やっぱり何であるか思い知る。
これは一年前の写真展へのアンサー。
そして、自分への決意表明なんだと、今日気づいた。

8月30日
写真を小さくプリントして並べてみる。
今日は雨の一日で、ずっと頭の中に、いろんな場面が鮮やかに浮かんでいる。
声とか、肩に触れた手のひらの温度とか、笑顔とか、会話とか
空気とか、届かない言葉とか、忘れてしまった瞬間とか。
yuddyスタッフのchangが言ってた展示方法について意見が気にかかったまま。
もっともだと思って、すでに大まかに決めていた展示プランを一度白紙に戻した。
写真を並べながら、もう一度想いなおす。
カフェで展示することの意味とか、この写真展への気持ちとか。
結局わたしが何を大事にしたいか、それをきちんと伝えようと思う。
ゆるぎなく真っ直ぐ言えることがあるから。

8月28日
yuddyの壁にひとつずつふれて確かめる。
まっすぐにやろうと思う。
照れずにね。
メッセージは届くかな。

8月27日
写真を眺めて、感覚を取り戻す作業。
ノートや手帳の文字を読み返して、感覚を形にする作業。
ひりひりする痛さの中で写真展を創ってきたこともあったけど
今回のこの「やさしさ」は一体なんだろう。
『忘れっぽい天使』という写真展をちょうど去年の9月にやって
その写真展があるから、今回があるというふうに思っている。
『忘れっぽい天使』には一貫した想いがあった。
ある季節の、ある想い。
それは写真のテーマではなく、展示すること自体のテーマ。
何もかも抱きしめてしまって息が出来ない。
それを離したくないのに腕の中には置いていられない。
うねる想いを、静かに閉じ込めた時間。空間。
天使たちを見つめることは、必ずしもやさしくなんてなかった。
あの頃とは違う今のこの「やさしさ」はなんだろう。
その正体を探る航海はもう少し続く。

8月17日
DM届く。
あと1ヶ月、真っ直ぐにやさしくみつめることができるかな。
光をみるまでの、記録のページ。

 

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