やってきた夏
とにもかくにも、夏だった。

 信じてみる?
 信じないよ。
 それってなんだっけ?
 意味知らないし。
 さみしい?
 さみしくないよ。
 それってなんだっけ?
 本気でいってんの?史上最大のいじわる。


世界最強のいくじなし。夏のド真ん中で、
笑ってイタかっただけ。
遊んでイタかっただけ。


永遠の夏なんて当然ないし
必ず過ぎてゆくんだから、
通りすぎてゆく夏の中で
胸を痛くしたり見失ったりするんだ。君のワナにまんまとかかって
暴力エガオにメッタ打ち。 

 触れてみる?感じてみる?
 そう、そう。そんな感じ。それでも夏が大好きだよ。


それでも君が大好きだよ。
それでも歩いてゆくんだよ。
毎日マイニチ、ね。気づけば秋の入り口で、
宇宙の真ん中でぽつんとひとりで
叫び声あげつづけても、
誰の声も聴こえてこない。君のオモウツボ。

この世の果てまで見てみる決意だったけど
この世の果てなんて、あるのかな?
いつかは終わる人生だけど
歩くことをやめない限り
果てなんてないかもね。


どっかですれ違ったり交わったり
果てなき果てを見据えながら
歌いながら
リズム感じながら
歩いていくんだよ。 

それでも夏が大好きだったよ。
それでも君が大好きだったよ。

夏の君が、大好きだったよ。


everyday walkin'はびっくりするほどの速さでおわりました。
とかくいろんな感想がいっぱいだったこの展示、どうでしたか?
『忘れっぽい天使』のすぐ後の展示だったので、あの感じを思って来てくださった方、
満足いただけたのでしょうか?
「いままでと全然違うけど、あなたらしい」と言ってもらえたひとことが、すごく救いでした。
どんなものを撮っても、どんなひとを撮っても、わたしの写真だと分かるということが
実はすごく大切なのではないかと思ったのです。
写真の好き嫌いとか、近く感じるとか遠く感じるとか
それとはまったく違う次元で「あの人の写真」と分かってもらえることが、まず大切。
写真展としては、本当に未熟でした。
でも「この写真のチョイスで、こういう構成じゃなきゃいけない」ものだった。
写真展としての良し悪しではなく、バランスではなく、それを超えた「何か」。
それでも悩みに悩んだ結果、こうなりました。
悩んだというのは、これを展示するかしないかということ。
展示最終日の日記にも書いたけれど、
私の中で、これまでとまったく違う場所に位置づけられた展示です。
「見た人が、どう受け止めようがどう感じようが気にしない」
そんなことも思った展示でした。
これを見届けてくれた人を、なんだか特別に思う。
わたしが写真を撮っていた事実の、証人のようにも。この写真では、彼のひとかけらも伝えることができなかったようにも思う。
そして、何も話せなくなってしまったことを、すごくさみしく思う。
それでも、
モデルの彼に、やっぱり一番の「サンキュー」を。
サンキュー!!

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